投資家サッカー選手

FC町田→慶應湘南藤沢高等部サッカー部主将→U-19台湾ユース代表キャプテンを経て、ゴールドマン・サックスに入社。今は投資家サッカー選手として活躍する永遠のサッカー少年

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FC町田での思い出

先週、「川崎フロンターレ vs. FC町田」の記事を書いた途端、
1日で約100アクセスを記録し、大変驚いた。川崎フロンターレ
に関する記事は以前にも書かせて頂いたことがあるので、
FC町田に対してご興味を持たれた方が多く閲覧して下さったのでは
ないかと推察し、今日は僕のFC町田時代のことを少し書いてみたい。

僕がFC町田を知ったのは小学校の時。
弱小チームにいた僕は、そのチームではほぼ一人で点をとっていた
ものの、せいぜい川崎市ベスト8というのが最高の成績だった。
全国大会の結果を見ていたら、「FC町田」という、見慣れた
駅(僕が住んでいた新百合ヶ丘の隣の駅)の名前を冠したチームが、
ヴェルディやマリノスと並んで、活躍していることが分かった。
非常に負けず嫌いだった僕は「いつか強いチームの中心メンバーになり、
毎試合勝ちたい。」と思っていた。

そして中学校のとき、「週刊サッカーダイジェスト」に載っていた
セレクション情報を毎週チェックし、FC町田のセレクションを見つけて
自ら応募した。

事前に送られてきたセレクションの概要は、
①50m走
②リフティング・コーンドリブルなどの基礎技術
③紅白戦
とのことだった。

②、③にはそれなりに自信があったが、①については、兼ねてから
「自分のポテンシャルに比べて、タイムが伸びていない。理由はスタート
の悪さ」と考えていた僕は、学校の陸上部の金成先生(慶應の付属校
だったため、非常に優秀な先生が揃っていたと思う。)にお願いし、
「自分は将来サッカーの台湾代表に入りたい。そのためには強いチーム
に入る必要がある。そして、FC町田という強いチームに入るために、
50m走のタイムを伸ばしたい。協力してほしい。」とお願いし、
朝や休み時間にサービス勤務してもらい、マンツーマンで指導してもらった。
結果、50mのタイムが6秒4(中学生としては速かった)まで伸びた。

そしてセレクション当日。
充分に準備できた自信と、やっと強いチームに入れるスタートラインまで
来た喜びを胸に、一つ一つの種目を、集中してこなしていった。
50m走は、2人一組で行われたが、あえて速そうな相手を事前に選び、
「最初に走りたい人はいる?」という声にすばやく反応して、「はい!
お願いします!」と先陣を切って走った。結果、その相手にも勝ち、
タイムは知らされなかったが、金成先生のおかげで最高のスタートを切り、
速く走れたと感じた。

そして最後の紅白戦でも、1ゴール決めることができ、アピールできたと感じた。

当日100人弱受けに来ていて、合格したのは6~7人だった。
その中に自分の名前があった。
振り返ると、この瞬間が、夢へのスタートだったと思う。

その後、背番号6を与えられ、3-5-2のウィングとして、下級生
のときから試合に出してもらえた。馬場十字路にあるグランドまで、
毎日学校が終わり次第一人で通い、孤独の中でも夢に向かって
日々サッカー選手としての成長のために全力を尽くした。
毎日の練習で、「誰にも負けない」という強い気持ちを持って
戦った。クラブチームは、学校の部活と違い、一人一人が自分なりの
目的を持って戦っているため、ある意味ドライな部分もあったが、
僕にはそれがとても心地よかった。遠慮なくぶつかれることこそが、
成長の近道だと感じていた。

何気なく自分の心の声に従って、セレクション情報を探して、
応募して、準備して、本番で自分が出来る限りのことをやった。
ただそれだけのこと。それは、「できる/できない」ではなく、
「やる/やらない」の、自分の選択だったと思う。

「やる」を選択した瞬間から、既に一つの歴史が生まれていたように思う。

僕が夢を叶える土台をつくってくれたFC町田に、未だにとても感謝して
いるし、これからもそうだ。

今年、チームは相馬監督や数々の優秀な選手を獲得して更に戦力アップし、
現在JFLでトップを独走している。僕も、仕事がない日には、野津田に
応援に行くつもりだ。

頑張れFC町田!!!行くぞJリーグ!!!
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