投資家サッカー選手

FC町田→慶應湘南藤沢高等部サッカー部主将→U-19台湾ユース代表キャプテンを経て、ゴールドマン・サックスに入社。今は投資家サッカー選手として活躍する永遠のサッカー少年

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

ありがとう日本代表!!

日本全体に勇気と元気を与えてくれたサッカー日本代表に、まずはお礼を言いたい。
パラグアイ戦終了後、選手たちが涙に暮れている姿に、彼らがどれだけこの大会にかけていたか、
どれだけの気持ちを込めてプレーしていたかが表れていて、胸がつまる思いだった。胸をはって、
次のステップに進んでほしい。

一点、今後のために付け加えたいのが、PK戦の戦い方である。駒野選手は、PK失敗を差し引いて
も余りある、見事な活躍をしてくれた選手であり、当然彼が責められるべきではないし、拍手を
送りたい。ただ、日本代表が更に先に進むために、あえて冷静に考えておきたいことがある。
「PKは、運ではない」
僕が、高校2年生のある事件をきっかけに学び、繰り返し後輩たちに言ってきたことである。

日本代表がワールドカップでベスト8以上に進むにあたっては、必ず格上の相手との死闘を
制することが必要となる。なんとか守りきってPK、という場面が出てくる。もう、PKで負ける
わけにはいかない。

僕は、自宅の一番よく見えるところに、自分のサッカー論を書いた紙を貼っている。
それが仕事にも適用できると思っているから、実家を出た今でも貼っている。その中の一つが、
「雨の試合とPK戦では、絶対に勝つ。」
というものである。長くなるので、雨の試合についてはここでは割愛するが、PKは、練習すれば
確実にうまくなるものであり、それに気づいていない人がプロでも多いために、逆にチャンスが
生じていると僕は考えている。

僕が高校2年生のとき、全国高校サッカー選手権大会神奈川県予選で苦い思いをした。
苦すぎて、なんと4日間熱を出して寝込み、ベッドから出られなかった。
当時下級生だった僕は、先輩をおしのけて、レギュラーポジションを獲得していた。先輩たちは
とても優しく、いつも自分のペースでチームを鼓舞しようとする強引な僕を温かく見守って
くれていた。練習以外の時も、先輩と飯に行ったり、地元の祭りに行ったり、海に行ったり、
本当に仲良くしてもらっていた。それだけに、当時の僕は、「先輩たちを勝たせるんだ」という
強い思いで試合に望んでいた。

そんな中、「負けたら終わり」という選手権大会で、シビれる延長戦を戦い抜き、ついにPK戦に
突入した。監督がPKのキッカーを指名していく。「3番手はお前だ」。僕はとっさに「先輩には
最後の大会です。僕なんかじゃなく、先輩に蹴ってもらいたいです。」と答えた。当然、自分で
蹴りたい思いはあった。ただ、勝つにせよ負けるにせよ、頑張ってきた先輩たちが自分たちの
手で運命を決めるチャンスを、僕が奪うべきではないと思ったのだ。その時先輩たちは、
「いや、お前が蹴れよ。お前がいなければここまで勝ちあがれなかった。外しても構わないから、
思い切って蹴ってこい!」と言ってくれた。僕は、鳥肌が立った。先輩たちは、こんなにも僕を
信頼して、自分たちの大事な未来を託してくれている。

「ここで決めなきゃ男じゃない。感謝と敬意を込めて、この1本は絶対に決める。」

僕の順番が来た。腹はくくれていた。自信もあった。
ゴールの左端をチラっと見る。目線でフェイント。キックの正確性には自信がある。
蹴りこむ先は右のサイドネットと決めていた。

助走の瞬間、キーパーが右に飛んだのが間接視野で見えた。大雨の影響もあって微妙に軸足が
ブレた。キック自体はしっかりとインサイドで捉えた。
次の瞬間、ボールがポストを叩く鈍い音が聞こえ、サイドネットに収まるはずだったボールは、
僕の足もとに戻ってきた。根拠のない自信と、先輩への言葉に自分で酔っていた僕を嘲笑う
かのように。

僕のミスが原因で試合に負け、先輩たちは引退することになった。
大雨だったが、ピッチを去ろうにも足が動かない。自分の体温すら感じない。

そんな僕に、先輩たちが駆け寄る。怒ってもいいところなのに、
「ありがとうな!お前のお蔭で楽しかった。来年、俺たちの分も勝ってくれよ!」そう声を
かけてくれた。涙を流しているのに、笑顔で駆け寄ってくれる先輩に、僕の心の傷は、
更に深くなった。「こんなに素晴らしい先輩たちを、自分が引退に追い込んだ。もっと一緒に
やりたかったのに、僕が自分でその道を断ってしまった。」

そして、そこから4日間高熱で寝込み、ベッドから出られず、誰とも話さなかった。

実はその間、色々なことを考えた。最初の2日間くらいは、とにかく辛くて泣いた。
だが、次の2日間くらいは、
「こんな思いは二度としたくない。もう絶対にPKは外さない」という思いを出発点として、
①自分が何故外したのか
②絶対に決められるキックはないのか
を考え、ついに「これは絶対に入る」というキックを編み出した。それは、
・助走を非常に長く取り、助走の途中でスピードに変化をつけて、キーパーの
重心が動いたところの逆をつく。
・重心が全く動かない「見てから飛ぶキーパー」だった場合は、インサイドで
右のゴールポストから1m内側を強く射抜く
というものである。

僕はこのキックを繰り返し練習した。そして、自分が最上級生となり、公式戦、練習試合を
含め10本以上のPKを蹴ったが、1本も外さず、この蹴り方で全て成功した。

「選手権の悪夢」から一年後、約220校が参加した自分の代の全国高校サッカー選手権
神奈川県予選。僕らは先輩の代の記録を超え、ベスト24をかけたブロック決勝に進出していた。
この試合も死闘となり、ミスから試合開始直後にとられた3点を取り返して5-5の同点から、
延長を経て、PK戦に突入していた。
キャプテンとなった僕は、最後(5番目)のキッカーを任された。

「決めれば勝ち」という、大好きな場面で順番が回ってきた。
応援団の方を見る。僕が引退に追いこんでしまった先輩たちも、そこにいた。
一年前に先輩から受け取ったキャプテンマークに手をやる。

もう気負いはなかった。余計な「カッコイイ言葉」は頭に浮かばなかった。見ていたのは
キーパーの動き。

キーパーが「まだ下がるの?」という表情をするまで後退し、助走をとった。トップスピード
で助走に入り、途中でグンとギアを落とす。キーパーが大きく左に飛んだ。僕は、ただ逆を
ついた。ボールは、ゆったりとしたスピードで優雅にバウンドまでした上で、ゴールネットに
吸い込まれた。

応援団、学校のみんながピッチになだれ込んできた。僕は一通りみんなと喜んだ後、先輩と
ハイタッチをかわし、1年越しに感謝と敬意を形で示すことができたことを喜んだ。

PKは運ではない。
「PK戦」という、別個のゲームだ。ゲームには、必ず勝つための法則がいくつか存在する。

最高の活躍を見せてくれた日本代表に、メディアも沸き立ち、当然今は賞賛一色になる
わけであるが、「PKは練習すれば勝てるようになる」ということだけは伝えたかった。

次のワールドカップで、日本代表がPK戦を制し、「4年前の教訓を活かすことができた」と
言えるように。
スポンサーサイト

PageTop

コメント


管理者にだけ表示を許可する
 

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。